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「伊勢おしろい」として室町時代以前から明治時代まで松阪市射和町周辺で生産されていた「射和軽粉」の釜元・萬部家がこのほど、「松阪紀勢界隈 まちかど博物館」に認定され、当時の資料などを初めて一般公開している。
「軽粉」は、水銀を赤土やにがりなどと混ぜ、直径15aほどの鉄釜に入れて熱し、上蓋に蒸着させて造った白い粉。「伊勢おしろい」としてお伊勢参りの土産物になったり、解毒剤などの薬として用いられたもの。最盛期には軽粉を製造する釜元が射和地区に約80軒あったといわれ、この軽粉の製造が射和や松阪地方に財をもたらし、国分家や三井家など松阪出身の豪商を生む礎となったとされている。
萬部家は「大マス」の屋号で、江戸時代初期から明治30年ごろまで「軽粉」を製造していた釜元で、現在の萬部芳子さん(73)が14代目。同地区で最後まで続けていたため、軽粉製造に関するまとまった資料が残っているのはここだけという。
展示されているのは、明治25年にシカゴで開かれた博覧会に出展した瓶詰めの軽粉=写真右=をはじめ、軽粉を製造するときに使われた釜や水銀を入れてた壷、軽粉を乾燥させる箱など軽粉製造関係の資料や、万古焼、掛け軸、ひな人形などの美術品を含め約200点。
これらの資料の一部は「松阪市民俗資料館」にも展示されているが、全容を一般公開したのは今回が初めて。公開は2月末まで。見学を希望する人は、あらかじめ電話での予約が必要。その後の公開は、10月ごろの予定。
萬部さんが「まちかど博物館」として公開に踏みきったのは、6年前から地域の人たちと射和の歴史を掘り起こす「射和 昔を語る会」(清水勝也会長、21人)の活動を始めたのがきっかけ。「先祖が残した貴重な資料で昔の射和のことを多くの人に知ってもらいたい」という思いになったという。
また「昔の人は水銀が体に害になることを知らなかったため、家の土間に釜を造って家内工業的に生産していました。お寺の資料を見ると、この地方の人は早死にだったようです。私の祖母も歯茎から出血したり、目が見えにくくなったという話を聞いています。軽粉は堕胎の薬にも使われていたため、特に女性の悲しい歴史が続いていたのではないかと考えられます」と話している。
見学の希望は萬部さん=電話0598(29)2501=まで。 |