三重県の地域情報応援サイト RAKU/コラム001
第5歩

「描く」を楽しむ。


  中学生の頃、絵を描くのが好きな友だちと、4人で「交換マンガ」に熱中した。白いノートに一人が何ページかマンガを描いて友人に渡し、その人が続きを描いて次にまわしていくというものだ。描き手が違うので、当然絵も変わる。だから、髪形と名前だけは同じにしようというルールが出来た。うっかりすると、お気に入りの登場人物が友人の回に抹殺されたりすることもあり、油断ならない。各人が国や時代を個人の趣味で変えるので、ストーリーは奇想天外。自分たちが読みたいマンガを、思うままに描いていた。話が進むにつれて、愛読者となるクラスメートが増えた。授業中ノートが密かにクラスを移動するようになると、表紙には「授業中は読まないで下さい。没収されると続きがかけません」という紙が貼られた。が、警告もむなしく、いつしかノートは職員室に行ってしまった。大好評の連載は、未完のまま終わりを告げたのである。−マンガに限らず夜も昼も絵を描いていた頃の話だ。この記憶が鮮明なので、私は絵にいささか自信を持っていたのだ。だが、それがもろくも崩れ去る出来事があった。
  夫はペンの試し書きをするのに、よく「魔法使いサリー」をかく。シュークリームのようなサリーちゃんのヘアースタイルが、曲線の書き心地を試すのにうってつけなのかもしれない。ある時、何の気なしに夫の落書きの隣に同じようにサリーちゃんを描いた。しかし、これが少しも可愛くない。絵が下手になったのだろうかと、もう少し簡単そうなドラえもんにも挑戦してみたが、まるで妖怪だ。「何かおどろおどろしいドラえもんだね」と娘がそれを目ざとく見つけ、「『ドラえもん』ってこうじゃない?」とさらりと描いてみせた。
  ドラえもんらしいドラえもんも描けないのに、今後、芸術的な絵が描けるものだろうか。私は心底がっかりした。こうなっては、老後に始めたい趣味リストの上位にある「絵を習う」をリストから外すべきではないか。そんな風に思い始めた時、米国の画家、グランマモーゼスについての文章を読んだ。彼女は75歳で油絵を始め、80歳で初の個展を開いたというすごいおばあちゃんなのだが、面白いのは彼女が絵筆をとったきっかけだ。針を使う細かい作業が困難になり刺しゅうが出来なくなったので、絵筆に代えたのだという。刺しゅう針を絵筆に持ちかえるという流れに、絵に対する何の気負いもない。描きたいのに、下手になったなぁと意気消沈しているなんてつまらないことに思えてくる。
そういえば、夫が「ここに絵が一枚あるといいな」というので、この間から居間用の絵を探していたんだっけ。欲しい絵は高すぎて買えないのだから、いっそ、自分で描いてしまおうか、といきなりやる気になってきた。読みたいマンガを一心に描いていた頃を思い出しつつ、絵をイメージする。…浮かんできたのは、絵に施す自分のサインだけ。なのに、不覚にも嬉しくなってしまった。