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Home > ローカルみえバックナンバー > 2002.10.10 > 1面
 
※掲載内容は取材時によるものです。詳細は各施設、店舗にお問い合せ下さい。

【1面】

【まちを歩こう(5)】
松阪商人の源流
射和町・中万町


射和町・中万町
射和町・中万町

松阪市の中心街から国道42号を南下すると、奈良県境の国見山を源流とする櫛田川に差しかかる。この辺りが松阪市射和(いざわ)町だ。橋の手前の旧道を左折すると、すぐ右に大きな屋敷が目にとまる。これがK&Kマークの総合商社・国分の旧宅。道を挟んだその前には射和文庫や射和万古を開いた竹川竹斎の生まれた竹川家がある。

江戸店を持つ豪商の館

射和町・中万町
射和町・中万町
射和町・中万町
射和町・中万町
射和町・中万町
射和町・中万町
射和町・中万町

 同地方ではかつて、上流の勢和村丹生で産出する水銀を加工した「伊勢おしろい(軽粉)」が盛んに作られていた。最盛期の室町時代には83の製造場があったとされ、これを取り扱う商家が財を成し、江戸時代には近郷で生産される綿布なども販売、江戸に店を構える豪商が軒を連ねていた。 なかでも射和の富山、家城はいち早く江戸に進出し、元禄期には松阪の三井、伊豆蔵とともに江戸の四大呉服商に数えられていた。また、布屋、富山、仲嶋、札野は日本で二番目に古い兌換紙幣「射和羽書」を発行した。
 射和から5分ほど東に歩くと中万町に着く。中万には射和羽書の一つ「紺田札」を発行した紺田、「ちくま味噌」の製造元で知られる
の面影をとどめているのは、最盛期に幕府御為替御を勤めた射和の竹川家、醤油商から日本一の総合商社になった国分家、中万の竹口家、富山家などだ。 また、これらの商家からは文人も生まれ、射和の豪商・三井家の大淀三千風(1639〜1707)は、名を有翰(ゆうかん)と称し、15歳ごろから俳諧を志し、晩年は神奈川県大磯に鴫立庵(しぎたつあん)を構え、九州をたびたび訪れ長崎を中心に三千風流の普及に努めた。墓は射和町共同墓地にあり、自筆の資料などが延命寺に残されている。
 幕末から維新の時代には竹川家の竹川竹斎(1809〜1882)が、勝海舟らと交流、農民救済のために溜池を作ったり、人材育成に「射和文庫」を設立、万古焼の再興に努めるなど幅広く活躍した。 竹川邸内にある「射和文庫」は、当時1万冊の蔵書があったが、現在は室町時代の写本や本居宣長などの自筆本、勝海舟との交友を物語る資料など2970点を所蔵。さらに射和万古は灯籠、唐獅子など作品42点が竹川家に残されている。
 また、点在する立派なお寺からも、かつての繁栄が偲ばれる。同市最古の建物の山門(1483年)がある延命寺と、1680年建立の伊馥寺(いふくじ)には、櫛田川沿いの古道に面して高い石垣が築かれており、豪商たちが深く関わっていたことを物語るように威容を誇っている。
 さらに、射和寺旧跡の大日堂に安置されている木造地蔵菩薩坐像(像高84a)は、南北朝時代の特徴がよく表れた仏像として国指定重要文化財になっている。また、この仏像の中に収められていた江戸時代の絵本や手習い本も、現存する日本最古の上方絵本という。
 このほか、射和の両郡橋たもとにある「白子屋」のみたらし団子、橋を渡った多気町相可の「うおすけ」が作る鮎の甘露煮、さらに50b西の「長新」謹製のまつかさもちなどが名物として名高い。



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